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極真空手創始者、我が師「大山倍達」総裁命日

☆今日は極真空手創始者、我が師「大山倍達」総裁の命日。

「大山倍達」と関わりがあった人間も、鬼籍に入る人間が増えて来た昨今、人それぞれ様々な継承が成されている中、「大山倍達」の一番厳しい部分を受け継いでいると自負している私^_^。

私の人生も残り20〜30年。この「厳しい」部分を受け継ぎたい、学びたいと思っている人間なんか、今の時代には殆どいない^_^。

極真空手は受け継ぎ手、受け継ぎ方によって様々な変化変容が成されている現在、今後も更に変貌を遂げて後世に遺って行くのだろう。

昔の「極真」とは違っても、昔の何倍もの人間がそれを足掛かりに成長して行くことで、「大山倍達」総裁も満足しているのではないかと思う。

我が師………向こうで何やってんのかな〜^_^。

 

☆「極真空手創始者「大山倍達」総裁出棺。」☆

この時のことは以前もFacebookで投稿したことがある。

この出棺の時、大山総裁の柩を誰が運ぶ、担ぐかが大体決まっていた。
多分、G師範が決めたのだと思うが、比較的若い世代の歴代チャンピオンが担ぐことになっていたようだ。顔ぶれをみて私はそう思った。

最初は「ふ〜ん」という感じで普通だったのだが、しばらくすると凄く違和感を感じるようになった。
「若い世代の歴代チャンピオンたちが担ぐのは全く問題ないが、一番身近にいた内弟子が誰もその中に入っていないのは何故なんだ?!」と思ったのである(もちろん、G師範をはじめとする古参の師範方に悪意はない^_^)。

「せめて竹山先輩が入っていないとマズいだろ?」これが私の率直な気持ちだった。
竹山先輩は大山総裁に最後のお別れをしたあと、下で悲しみに耽っていたので、あの様子ではまた上に上がって来る気配ではなかった。

そして、「竹山先輩、先輩が大山総裁の出棺に関わっていないのはおかしいですから、是非担いで下さい!」と下へ言いに行こうと思ったが、既にその時間も無くなっていた。

二階道場から、大山総裁の柩が運び出されるのだが、極真会館池袋総本部道場へ行ったことがある人間ならわかるが、階段がとにかく狭くて勾配が急だ。

その為、柩を運ぶ役割の人間だけでは、とてもではないが、重い柩を下へ運び出せない。

その為、私を含めて何人かが手伝うことに自然となったのだが、急勾配の狭い階段で柩を下へ運んでいるうちに、狭いため柩の中央を持つ人間がいなくなり、ちょうどそれを補う位置に私がいたので一時、大山総裁の柩を担ぐ形になった。

そして、そのまま何とか皆んなで一階へ運んだのだが、私は「これ、内弟子代表として俺がこのまま最後まで運ぶべきだな」と強く直感で思ったので、そのまま霊柩車まで運んで役割を果たした。

おそらく私が入ったことで、柩を運べ無くなった人間がいたはずなので、申し訳ないとは思ったが、内弟子絡みの人間が一人も大山総裁の柩を担いでいないのは、大山総裁に対してもっと申し訳ないので、仕方がないと腹を括った。

後でG師範や諸先輩方にお叱りを受けても何の後悔もない心境だった。

「何で柚井が担いでんだ?」と思った人がたくさんいたかもしれない。
でも、結局誰からも何にも言われなかった。

あの時、直感に従って柩を運ぶ決断をして本当に良かったと思った。
そうでなければ、内弟子絡みの人間が誰も出棺に関わっていなかったことを今でも後悔していただろう(写真では数見くんの横が私)。

大山倍達総裁の命日が来ると必ず思い出すエピソードである^_^。押忍。

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