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御辞儀

☆「御辞儀」

「謙譲の美徳」として、以前に下記の投稿(後半)をした。こういった精神の話はその時だけで、何故か長く維持されず忘れられてしまう事が多い。
今一度思い出して欲しいと思う(後半が過去の投稿)。

その以前の投稿と直接関係ないが、「謙譲の美徳」ということに関しては無関係ではないので投稿する………

「御辞儀」
我がフルコンタクト空手界の人間は試合上での挨拶で何故か「御辞儀」が出来ない、「御辞儀」をしない。
試合場での入退場、正面、主審、相手選手に対しての「御辞儀」だ。
自分自身の魂を磨くことが出来る「試合」に臨むのだ。その神聖な試合場、裁いてくれる主審、何より一番の気付きを自らに与えてくれるであろう相手選手に感謝と敬意を持って御辞儀をするのは当たり前の事。
試合が終われば勝ち負けに関係なく、上記それぞれ「全て」に対して自然に頭を下げて挨拶が出来なくてはいけない。

それが、御辞儀をせずに両腕で十字を切るだけの動作の選手が9割以上。
フルコンタクト空手の人間は「極真空手」の流れの人間が多いので、挨拶の時に十字を切る流派が多い。
つまり、挨拶を「御辞儀」ではなく、「十字を切ること」であると大きな勘違いをしている人間が9割以上なのだ。

「十字を切る」ことは「挨拶ではない」。

「十字を切る」ことは自分自身の心構え、気持ちを表すものであり、意思表示だ。

例えば普段の生活の中で稽古に通う。学校での勉強、部活、会社での仕事などで凄く疲れた。
そんな稽古に行きたくない状態の時、「弱い自分自身」を断ち切る意味で気持ちを奮い立たせて十字を切りながら「押忍!」と挨拶をして、道場に入り稽古をやる。
痛く苦しい組手稽古に恐怖心が湧き、稽古中嫌で嫌で仕方がない。
しかし、組手稽古の時は始まった。弱気の自分自身を引き摺らないように、「押忍!」と十字を切り、弱い自分自身を断ち切って組手をやる。

「やるぞ!」「頑張るぞ!」という意思表示。

試合、組手や稽古が終わった後、思うように試合、稽古が出来なかったかもしれない、成長途中であれば試合、組手の相手に憎しみが生まれてしまうかもしれない、しかし、そのマイナスな気持ちを引き摺らない断ち切る意味で、自分自身の魂を磨くサポートをしてくれている試合相手や稽古をする道場に感謝の意を込め(もちろん、純粋に充実した試合、稽古が出来た場合も)、十字を切る。
そして、自らの鍛錬である非日常的な試合や道場稽古を終え、日常生活へ戻る気持ちの切り替えの意味でも十字を切って御辞儀をして感謝の気持ちと共に帰宅する。

試合場では尚更、確固たる決意が必要であるために、弱い自分自身を奮い立たせる、強い決意を更に高めるために十字を切る動作に偏る、集中してしまう気持ちがわからない訳ではない。

しかし、魂を磨く真剣勝負の試合場に対して、試合を裁く主審に対して、対戦相手に対して礼を尽くす意味で自然に御辞儀が出来ないようでは絶対にいけないと思う。

中には首をチョコンと曲げて御辞儀のつもりでいる選手もいる。しかし、御辞儀は首を曲げるのではなく、首は真っ直ぐで腰を折るのだ。

以前所属していた組織で、御辞儀が出来ないことを指摘し、選手に徹底させるべきではないのかと提案をした事があるが、「深く頭を下げると相手の動きがわからなくなり良くない」ということで相手にもされなかった。
相手の動きがわからなくなるのは首を曲げるからで、首が真っ直ぐで腰を折る正しい御辞儀であれば、相手の動きはわかる。
しかし、何より相手に敬意を示す大切な行為である御辞儀を危険だからするべきではないという意味になりかねない考え方(もちろん礼儀を軽視している訳ではないだろうが重要性に気付いていない)にガッカリした事がある。
極真空手創始者「大山倍達」の空手技術書には、十字を切りながら腰を折っての御辞儀が写真入りで出ている。

日常や道場で会った先生や先輩に御辞儀もせずに踏ん反り返って十字を切ったり、首をペコリで十字を切ったり、こんな事は相手に対して失礼極まりないということに気付いていない。

朝「おはようございます」昼「こんにちは」夜「こんばんは」と言う際に、踏ん反り返ったまま、あるいは首ペコリであるよりも、腰を折って御辞儀をした方が良いに決まっているのは空手をやっていない人でもわかる。

昨日、Facebookでウエイト制の世界大会のハイライトシーンの動画があったので、久しぶりに観たら日本選手の素晴らしい活躍と相変わらず見事なまでの御辞儀の無さが印象に残った。
一流選手がこれだから、一般の稽古生が御辞儀をしなくて当たり前^_^。
私の弟子だったら、世界チャンピオンでも「試合と相手選手をなめてるのか!」と翌日から白帯です^_^。

これは批判ではない「願い」だ。皆んなにお手本になる強い選手こそ、空手家のお手本になる事で、素晴らしい影響を与えて欲しいと願うのだ。
あそこまで鍛え上げた素晴らしい選手だからこそ、「御辞儀」は必要だと思う。

もう一度言います「十字を切る行為は挨拶ではありません」決意、意思表示です^_^。

押忍

最後に長くなりますが、過去の「謙譲の美徳」の投稿です。
これも大切な事ですから、また読んでみて下さい^_^。

長い投稿にお付き合い下さいまして誠にありがとうございました^_^。

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「謙譲の美徳」

☆これ(一番下の記事)、何故か讃えられているけど、本来なら当たり前の事。褒めて貰えるような事ではない。
皆んなの感覚がズレている。
勝っても負けても試合相手を、相手の気持ちを尊重するのは当然、当たり前のことだ。
自分だけではなく試合相手だって、頑張って来たのである。
「試合相手」という、自分自身に対しての気付きを一番与えてくれる最大の功労者に対して、舐めた態度を取るなど言語道断。もし仮にそんな弟子を育ててしまったのであれば私は思い切り反省しなくてはならない。
相手を尊重し、気にする最も身近なものは「挨拶」。
本来なら「挨拶」をするのは当たり前。「挨拶」をして讃えられるのか?幼児ではあるまいに^_^。
「武」の道を歩む人間であれば大野選手の行動は極普通の当たり前のこと。本来なら「人」として当たり前のことだ。
これが騒がれるのであれば、残念ながらそれだけ人間の現状レベルが非常に低いということ。
そして、これは「教えて貰う」ことではない。自分自身を内観しながら稽古し、成長しているなら自然に身に付かなくてはいけないことだ。
今の時代、競技に奔り過ぎて、武の本分である「内観」が疎かになっている証拠だ。
とはいえ、この大野選手、金メダルを取って(当たり前のこととはいえ)皆んなに気付きを促してくれた立派な功労者と言える^_^。
お疲れ様でした、そして、おめでとう^_^!

☆記事☆
♪<リオ五輪>柔道73kg級金メダリスト大野が笑わなかったワケ♪
金メダルを獲得し晴れ晴れしい表情で表彰台に上る大野(写真:ロイター/アフロ)
リオ五輪の柔道男子73kg級が8日(日本時間9日)、現地で行われ、五輪初出場の大野将平(24、旭化成)が、金メダルを獲得した。日本柔道男子として、史上初の金メダル無しに終わったロンドン五輪の屈辱を晴らす見事な金メダル。しかし、畳を降りるまで大野は笑わなかった。その理由とは?
攻めた。得意技である内股を仕掛けていく。決勝の相手は同じ24歳のルスタフ・オルジョフ(アゼルバイジャン)。過去に対戦経験のある欧州王者で、「一発のある選手」の警戒心との内なる戦いになったが、大野に迷いはなかった。接近戦で勝負に出たのである。得意の内股で、1分44秒に技ありを奪った。ポイントをリードした後に大野の消極的な姿勢を指摘され指導が入った。
「逃げるより、攻め抜いて投げてやろう」
再び攻める。腰をつかむと同時に足でバランスを崩すと、右足で相手の右足をフック。そのままなぎ倒すと、審判は1本を宣言した。3分15秒。鮮やかな小内刈りだった。
日本柔道界に2大会ぶりに黄金の輝きを取り戻す、感動的な金メダル獲得の瞬間だったが、大野は、ガッツポーズどころか、表情ひとつ変えなかった。ちらっと日本の首脳陣や応援団が集まっている観客席に目をやったが、笑顔はなく厳しい顔をしたまま、深々と礼をして、オルジョフと握手で健闘を讃えあった。
やっと表情がほころんだのは畳を降りて担当の金丸雄介コーチの顔を見た瞬間。寄せ書きされた日の丸を手渡されると、それをまとって場内を少しだけ歩いた。
過去に金メダル獲得の瞬間に、先輩たちは様々なパフォーマンスで喜びを表現してきた。吉田秀彦の両手で天を突くポーズは印象的だったし、天理大の大先輩となる野村忠宏も、3連覇目は、畳に寝たまま両手を挙げた。なぜ、大野は、パフォーマンスどころか、笑わなかったのだろう。
「相手がいますから。しっかりと冷静に礼をして降りようと」
柔道は、スポーツであり、武道である。
そこには礼に始まり、礼に終わるという精神がある。勝負ごとには勝者がいれば敗者もいる。礼で終わる意味には、敗者を侮辱しない、という武道の精神がこめられている。日本人の持つ思いやりと尊厳の心。
イチローは、絶対に派手な所作をしない。サッカーの女子ワールドカップで優勝したなでしこジャパンの宮間あやは、勝利の瞬間、敗れたアメリカチームに駆け寄った。美しい日本人の姿、柔の道を大野が、リオ五輪の畳の上で体現したのである。だから礼が終わるまで笑わず、派手なアクションもとらなかった。
試合後、大野は言った。
「柔道の素晴らしさ、美しさ、強さを伝えられたと思う」