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ワシントンD.C.で伝え忘れた事

☆「ワシントンD.C.で伝え忘れた事」

極真空手創始者、我が師「大山倍達」総裁は「基本は私が教えるが、極意は自分自身で掴むもの」と常々言われていました。
(これは、ある意味これこそが「極意」であると私は思っています)

ですから、大山倍達総裁は具体的に何かを教えて下さるのではなく、切っ掛けになる事、ヒントになる事を時々アドバイスして下さるだけで、あとは放って置きます。

その、多くを語る事のない大山総裁からのアドバイスのいくつかを海外セミナーの際、私は時々話すのですが、私が黒帯を取得した時期に大山総裁から頂いた、自分自身への大切な戒めになる大変重要な事を、先月のワシントンD.C.「極真空手セミナー」で参加者の皆さんに伝え忘れてしまっていましたので、良い機会かもしれませんから投稿させて頂こうと思います。

決して目新しいものではなく、単純で一般的によく聞く事なのですが、「大山倍達」総裁の口から直接アドバイスを頂くと「心と魂」への入り込み方、染み込み方が全く違うのです。

このアドバイスを大山総裁から頂いたのは、大山総裁と私が2人切りの時でした。

私は初段の黒帯を頂いたばかりだったのですが、昇段審査の10人組手が余りにも情けなく納得いかないものであった為、落ち込んでいる真っ只中の時期でした(因みに私が昇段審査で行った連続組手(10人〜50人)の中で、一番充実していて、成績も良かったのが50人組手、体力的にも全盛期で最も成績が良く、全く疲れずに何気なくこなせてしまったのが30人組手、一番人数が少ないのに疲れ果てて自信を無くしてしまったのが10人組手でした)。

そんな私を見透かして励ますように大山総裁は私に「柚井くん、キミね、黒帯になって『教える』『指導する』という気持ちになったらお終いだよ。頑張りなさい。」と語り掛けて下さいました。

元々「教える」「指導する」というような気持ちになる性格の私ではありませんが、大山総裁から2人切りの時に直接頂いたアドバイスですので、間違ってもその気にならないように「教える」「指導する」という言葉事体も意識的に使わないようにしました。

「教える」「指導する」など、使い続ければ影響されかねない「言葉の魔力」に縛られないように、「号令を掛ける」「稽古を担当する」「伝える」といった感じに切り替えたのです。

それは自分自身がまずしっかり稽古をして精進しなければいけないと無意識的に感じるようになりますから、稽古生達も一生懸命に頑張るようになり、プラスの相乗効果を生みます。

これはもちろん本人次第ですから、「教える」「指導する」気持ちで稽古をしている人たちが堕落して行くわけではなく、責任を持って「教える」「指導する」のだから、本人自身がより一生懸命に稽古をしなくてはいけないと思い、努力精進する方々もいらっしゃるでしょう。

ですから、これはその言葉を使うか、使わないかではなく、「覚悟」「意識」の問題であり、本当に本人次第であるとは思います。

しかし、我が師「大山倍達」は海千山千の修羅場をくぐり抜けて来た、「超」が付く「強者(つわもの)」です。
誰でも意味がわかるような単純なことは言わないはず。
そこには本当に深い意味合いがあるに違いないと初段になったばかりの私は感じました。

そこで私は使う単語にも気をつけて、「教える」「指導する」意識は持たないようにしました。
大山総裁から探り当てたもの、稽古を継続することで気付いたもの、発見したものを、感じ取って欲しいという感覚で稽古をしています。

といってもまだまだ修業が足りない我が身。その気になってしまっている事は多々あるでしょう。

しかし、大山総裁から学んだ事は機会があれば次の世代に伝える必要があります。

その昔、私が教則ビデオのモデルになって演武をやらせて頂きましたが、「何でアイツがやるんだ?」という風当たりもあり、気分の良くない時期がありました。

そんな落ち込んでいる時期に、同じ内弟子出身の大先輩である大石師範から「ビデオ撮影に盧先輩(盧山師範)でもない、大石代悟でもない、松井章圭でもない。柚井!大山総裁がお前を選んだ意味を良〜く考えろよ!」と励まして頂いた事がありました。

私は長い間、大山総裁が私を選んで下さったのは普通の人より、技のクセが少なかったからだと思っていました。

しかし、大山倍達総裁が亡くなられて、極真はバラバラに分裂、それぞれの極真組織、道場は良い悪いは別にして、準備運動、基本、移動基本、型を変化させて行きました。

そんなある日、私は「大山総裁は、何があっても基本、型を変えずに同じままを継続するであろうと私の性格までを御見通しで、教則ビデオの演武に選んだのではないか?!」と思いました。
私の頑固な性格を活用されたのでしょう。

話が脱線しましたが、大山総裁と2人切りの時に敢えて話して下さった「教える、指導するという気持ちになったらお終いだよ」という基本中の基本とも言えるアドバイスも、私の性格上、それを貫き通し、次に伝えてくれると見込んでのアドバイスであったように思います(もちろん、大山総裁は他の方々にも同じ事を言われていたはずです)。

ワシントンD.C.での空手セミナーには様々な道場の責任者の方々が来て下さっていましたので、その「大山総裁からの伝言」を伝えなければと思って渡米しましたが、稽古に夢中になって伝え忘れてしまいました。

「教える、指導するという気持ちになったら、お終い」

これは後日、英訳の投稿もさせて頂きますが、来年また訪れる予定のハンガリー、ワシントンD.C.、ニューヨークでも、ガッチリ稽古をした後に伝えさせて頂くつもりです。

「基本は私が教えるが、極意は自分自身で掴むもの」

教えてもらうのではなく、自分自身で摑み取れ!と本当に一番大切な「教え」を下さった、我が師「大山倍達」総裁から、私が感じ取ったもの、直接「大山倍達」総裁からアドバイス頂いた事を海外の空手セミナーに於いて、本当の意味でお伝えさせて頂く時期が来ているのかもしれません。

我が師「大山倍達」総裁に感謝しております。

押忍

bujutsudaishizen.com

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